数日後、ルカと霧人は時計店「クロノ・レクタス」の奥の作業台に並んで座っていた。店内は相変わらず静かで、時計の規則正しい音が耳に心地よく響いている。しかし、ルカの心はその音に反して騒がしかった。
「霧人、あの『時の砂』が本物だなんて、まだ信じられないよ。」ルカは作業台の上に置かれた父の懐中時計をじっと見つめながら言った。
霧人は静かに頷き、目の前に置かれたノートに何かを書き込みながら答えた。「俺も正直驚いた。でも、これで蒼子さんの話がただの妄想じゃないってことがわかっただろう。」
「確かにそうだけど…どうしてあんなものが存在するんだ?母さんは、時間の守護者だとか、過去から逃げてきたとか言ってたけど、どうも現実味がないんだ。」
ルカは混乱した気持ちを抱えつつも、目の前で起きた現象がただの夢ではないことを理解していた。時の砂を使うことで、彼らは何か未知の力に触れてしまった。そして、その力が何なのかを知る必要があった。
霧人はルカの考えを見透かしたように、静かに言った。「ルカ、お前がまだ信じきれていないのはわかる。でも、もし蒼子さんの言うことが真実だとしたら…俺たちはその力をどう使うか考えなければならない。時間を操る力が本当にあるなら、それを活かす方法があるはずだ。」
ルカは霧人の言葉に耳を傾けながら、心の中で整理しようと努めた。確かに、この不思議な力を持つ「時の砂」が存在するなら、それを使って過去や未来に干渉できる可能性がある。そして、もしそうなら——失われた時間を取り戻すこともできるのではないか、と。
「霧人、もしこの砂で過去を変えられるとしたら、どんなことをしたいと思う?」ルカはふとした思いつきで尋ねた。
霧人は一瞬言葉に詰まり、目を伏せた。彼の瞳にはどこか深い思いが宿っていた。やがて静かに口を開いた。「もし過去を変えられるなら…俺は、具の国を守りたい。」
「具の国?」ルカはその言葉に戸惑いながら聞き返した。
霧人は微かに笑みを浮かべながら話し始めた。「子供の頃から、同じ夢を見るんだ。そこは具の国って呼ばれる場所で、俺はその国の王子だった。時間を刻む『永綴』と、思いを形にする『天刻筆』という道具があったんだ。だけど、永逝という敵がその国に攻め込んできて、言葉や記録を消し去ろうとしたんだ。夢の中では、国中の人々が殺され、書物は燃やされていく…俺は何度もその光景を見た。でも、夢だって思ってたんだ。」
ルカはその話を聞きながら、霧人がなぜ蒼子の話に対して強い興味を持ち、真摯に受け止めているのかを理解し始めた。霧人の夢と、蒼子の話が奇妙に一致していたのだ。
「そんなことが…」ルカは言葉を失った。「じゃあ、お母さんの話が真実だとしたら、君の夢も…?」
霧人は頷いた。「そうだ。だから、俺は確かめたいんだ。蒼子さんの言っていることが本当なら、俺の夢もただの空想じゃないかもしれない。もしあの『時の砂』を使えば、具の国のことも、永逝のこともわかるかもしれない。」
ルカは霧人の真剣な表情を見て、彼の決意を感じ取った。「じゃあ、どうする?どうやってその力を確かめる?」
霧人は目を輝かせながら言った。「俺たちで装置を作ろう。『クロノメーター』だ。」
「クロノメーター?」ルカは首をかしげた。
「時間を操作するための装置だよ。時の砂の力を使って、過去に干渉する方法を見つけるんだ。蒼子さんが言っていたのは、未来にしか行けないってことだったけど、俺たちは過去にも行ける方法を探す。」
ルカはその言葉に驚いたが、霧人の熱意に引き込まれていった。彼らは時計を修理するための道具や技術を持っていたが、それを時間そのものに干渉するために応用するという考えは、まさに斬新だった。
「でも、そんなこと本当にできるのか?」ルカは疑いの目を向けた。
霧人は自信に満ちた表情で言った。「俺たちならできるさ。君は父親の時計を修理してきたし、俺は時間の理論に詳しい。二人で協力すれば、不可能はない。」
その言葉に、ルカは次第に心を決め始めた。父の行方不明の真実を知りたい、そしてもし過去に干渉できるのなら——失った時間を取り戻すことができるかもしれないという期待が、彼の中で静かに膨らんでいった。
「わかった。やってみよう。」ルカは霧人に向かって決然と答えた。
こうして、二人はクロノメーターの開発に取り掛かることになった。ルカが持つ時計職人としての知識と、霧人が持つ時間に関する理論が次第に組み合わさり、少しずつ装置の設計が形になっていく。
作業は決して簡単ではなかったが、二人の情熱と執念がその障害を乗り越えていった。時の砂をどう活用するか、歯車をどのように組み合わせるか、全てが新しい挑戦だった。しかし、彼らは諦めずに研究を重ね、少しずつ完成に近づいていった。
「もう少しだ…これで過去にも行けるかもしれない。」霧人は手にしたクロノメーターを見つめ、静かに呟いた。
ルカもまた、その装置に目を向けた。もし本当に過去に行けるなら、彼の父親の失踪の謎を解くことができるかもしれない。そう考えると、胸が高鳴るのを感じた。
だが、このクロノメーターが、彼らに予想もつかない運命を引き寄せることになるとは、まだ誰も知る由もなかった。